Andi Sexgang アンディ・セックスギャング アンディ・セックスギャングはゾンビ風の白塗りメイクを施し、バンシーズ・ファンのようなファッションを身にまとい、オウムのようなボーカルで捲し立てる Sex Gang Children のリーダーだ。 1981年に結成された Sex Gang Children は、Specimen や Alien Sex Fiend らと共に Batcave の常連で、ポジパン草創期を盛り上げたバンドである。 当時 「 Sex Gang Children 」 というバンド名が過激すぎるだとか、せめてバンド名から 「 Children 」 を外せだとか(笑)槍玉に上がったそうだが、 そんなスキャンダラスなバンド名の名付け親は、かの Sex Pistols を世に送り出したパンク界の仕掛け人マルコム・マクラーレンだ。 ウィリアム・バローズの小説から取られたこのバンド名は、 当初はビルマ系の " 土人少女 " アナベラ・ルウィンを擁したポストパンクバンド Bow Wow Wow のために彼が考案したものだった。しかし採用は見送りとなり、 その頃一時的に Bow Wow Wow に在籍しており、後に Culture Club を結成するボーイ・ジョージの芸名として引き継がれる。 アンディはボーイ・ジョージが Culture Club を結成する際に 「 Sex Gang Children 」 をバンド名にするよう薦めており、ボーイ・ジョージもその気だったようだが、 ドラマーのジョン・モス ( 元 The Damned ) の反対に遭いこれまた採用には至らず。 こんな素敵なバンド名が誰にも使われず埋もれていくのは勿体無いと感じたアンディは、ボーイ・ジョージに許可をもらって自分のバンド名として採用する。 以上が Sex Gang Children というバンド名の誕生ストーリーだ。 アンディ率いるバンドは1982年春に実質的なデビューを飾ると、シングルを立て続けにインディー・チャートの上位に送り込み、 トニー・ジェイムズによるプロデュースの 1st アルバム 『 Song and Legend 』 はインディ・チャートで 1位を獲得している。 しかしすぐにメンバーチェンジのごたごたが起こり、1984年の夏にバンドは短命のまま解散。以後アンディはソロとして音楽活動を継続し、現在に至る。 ( 実は2002年に Sex Gang Children の新譜がこっそり発表されているのだ。) Sex Gang Children 解散後のアンディの活動が話題になることは極めて少ないが、 何気に彼はソロ・ミュージシャンとして10枚を超える数のアルバムを発表しており、 その中にはマリアンヌ・フェイスフル (60年代後半の英国の元アイドル兼女優) のカバー・アルバムなんてものも存在する。 ウィキペディアでは " experimental solo artist " と紹介されていたので、 管理人も試しにソロ時代のアンディのベスト盤を購入して聴いてみました。 ・・・・・うわ、バンド時代とあんま変わんねー(笑) 色々なジャンルをミックスしたごちゃごちゃな実験性が昔のまんまで、 彼がやりたいことをやりまくっている印象。さすがにもう他のアルバムは手は出しません。 それでもシャンソンの名曲 「 Les Amants D'un Jour (邦題:いつかの二人)」 のカバーが何故かバッチリはまっているのが侮れない。 アンディはエディット・ピアフがお好きだそうで。 Olli Wisdom (オリー・ウィズダム) Specimen のボーカル。バンドの同僚ジョニーと共にポジパン界のマスコット的存在。アンディとは Batcave 仲間である。 Nik Fiend (ニック・フィエンド) Alien Sex Fiend のボーカル。同じくアンディとは Batcave 仲間で、バンド名も Sex 繋がり、しかも細々と現役活動中という似たもの同士。 Tony James (トニー・ジェイムズ) 元 Generation X のベーシストで、後に Sigue Sigue Sputnik を結成するポストパンク界の奇才。Sex Gang Children の 1st アルバムをプロデュースしている。 Ian Astbury (イアン・アストベリー) Sex Gang Children とほぼ同時期に頭角を現したポジパンバンド Southern Death Cult のリーダー。イアンは、背が低く不気味なアンディのことを " ゴシック・ゴブリン " と呼んでいた。 |